種の保存とアニマルウェルフェア:動物園・水族館の二つの重要な使命
動物園や水族館は、私たちに様々な動物たちとの出会いを提供してくれる場所です。しかし、その役割は単なる展示だけにとどまりません。現代の動物園・水族館は、地球上の生物多様性を守るための「種の保存」と、飼育している動物たちの心身の健康と幸福を追求する「アニマルウェルフェア」という、二つの重要な使命を担っています。
この二つの使命は、時に相反するように捉えられることがありますが、実際には深く結びついており、多くの場合、相互に良い影響を与え合っています。この記事では、「種の保存」と「アニマルウェルフェア」が動物園・水族館においてどのように両立され、どのような課題が存在するのかについて解説します。
アニマルウェルフェアの基本的な考え方
アニマルウェルフェアとは、「動物たちが生活する上で、心身ともに満たされた状態であること」を目指す考え方です。単に動物を傷つけない、苦痛を与えないというネガティブな側面だけでなく、動物がその種本来の行動を発現でき、ポジティブな感情を持つことができるように積極的に環境を整えることを含みます。
アニマルウェルフェアの国際的な基準として知られているのが、「五つの自由」という考え方です。これは、動物が満たされるべき基本的な条件を示しており、以下の項目から構成されます。
- 飢えと渇きからの自由: 十分な餌と水が与えられていること。
- 不快からの自由: 適切な休息場所やシェルターが提供され、快適な環境であること。
- 痛み、傷害、病気からの自由: 病気や怪我を予防・治療できること。
- 正常な行動をとる自由: その種にとって自然な行動(探索、休息、社会的交流など)ができる環境があること。
- 恐怖や苦悩からの自由: 精神的な苦痛やストレスから解放されていること。
動物園・水族館におけるアニマルウェルフェアの実践は、これらの自由を最大限に保障するための飼育環境の改善、給餌方法の工夫、群れの構成への配慮、獣医療の提供といった多岐にわたる取り組みを含みます。
種の保存活動とは
種の保存活動とは、絶滅の危機に瀕している野生動物を守り、その種が地球上から姿を消すことを防ぐための取り組みです。動物園・水族館は、この活動において重要な役割を果たしています。
主な活動内容としては、以下のようなものがあります。
- 生息域外保全: 動物園・水族館内で希少な動物を飼育・繁殖させ、将来的に野生に戻すことを目指す活動です。計画的な繁殖プログラムが実施され、遺伝的多様性を維持するための国際的な協力も行われています。
- 生息地保全への貢献: 資金援助や研究協力などを通じて、野生動物が生息する環境そのものを守るための活動を支援します。
- 調査・研究: 飼育下での生態や繁殖に関する研究を通じて得られた知見を、野生個体の保全に役立てます。
- 教育普及: 来園者に対して、野生動物が直面している危機や保全の重要性について啓発活動を行います。
これらの活動は、失われつつある生物多様性を守るために不可欠であり、動物園・水族館が社会に対して果たす大きな貢献の一つです。
種の保存とアニマルウェルフェアの関係性
種の保存とアニマルウェルフェアは、しばしば異なる視点から語られますが、実際には密接に関連しています。
まず、種の保存において繁殖プログラムを成功させるためには、飼育動物が心身ともに健康であることが不可欠です。ストレスの多い環境や健康状態の悪い個体では、繁殖がうまくいかないことが多いため、質の高いアニマルウェルフェアの実践が、結果として種の保存の成功率を高めることに繋がります。例えば、繁殖を目指す動物に対し、自然な求愛行動や子育てができるような環境エンリッチメント(動物の福祉向上のために環境を豊かにする工夫)を行うことは、アニマルウェルフェアを高めると同時に、繁殖の成功に貢献します。
また、野生復帰を目指す個体の飼育においては、特別なアニマルウェルフェアへの配慮が必要となります。野生での生存に必要な能力を維持・向上させるため、人馴れを避けたり、探索行動や捕食行動を促すような環境設定を行ったりします。これは、個体の心理的な健康や将来の野生での適応性を考慮した、高度な福祉の実践と言えます。
一方で、種の保存を最優先するあまり、個体の福祉が犠牲になるのではないかという議論も存在します。例えば、繁殖のために特定のパートナーとのペアリングが強いられたり、健康であっても遺伝的な理由から繁殖が制限されたりするケースが考えられます。また、希少な動物を安全に保護するために、行動の自由度が限定された飼育環境にならざるを得ない場合もあるかもしれません。
両立への取り組みと課題
現代の動物園・水族館では、種の保存とアニマルウェルフェアの両立を目指し、様々な取り組みが行われています。
- 統合的な飼育計画: 繁殖プログラムの計画段階から、個体の福祉や行動の自由度を考慮に入れた上で、最適な飼育環境や管理方法を検討します。
- 施設の設計・改修: 動物の自然な行動を引き出し、隠れる場所や逃げ場、探索の機会などを提供できるような、複雑で多様性のある展示場・バックヤード施設の設計・改修が進められています。
- 専門知識の向上: 獣医師、飼育員、研究者など、動物に関わるスタッフがアニマルウェルフェアや行動学に関する最新の知識を習得し、動物の状態を適切に評価・改善するための専門性を高めています。
- 行動学的なアプローチ: 動物の行動を注意深く観察し、ストレスや不満のサインを見逃さず、必要に応じて環境や管理方法を調整することで、個体の福祉向上に繋げます。
- 倫理委員会の設置: 動物の利用や管理に関する倫理的な問題を検討するため、専門家からなる委員会を設置し、慎重な判断を行う施設もあります。
しかし、限られたスペースや予算の中で、希少種の保護に必要な厳重な管理と、動物が自然に近い行動をとれる自由度の高い環境を両立させることは、常に容易ではありません。また、どの程度まで人間の都合(展示や教育目的、経済的な制約など)を優先して良いのか、という倫理的な問いは、常に議論の対象となります。
まとめ
動物園・水族館における「種の保存」と「アニマルウェルフェア」は、どちらも現代社会において非常に重要な使命です。これらは対立するものではなく、飼育動物の健康と幸福を追求すること(アニマルウェルフェア)が、結果として健全な個体群を維持し、種の保存の成功に貢献するという側面が強くあります。
もちろん、両立には困難も伴い、常に最善の方法を模索していく必要があります。飼育環境の改善、スタッフの専門性向上、そして社会全体の理解と協力が、今後の動物園・水族館がこれらの二つの使命をより高いレベルで達成していくために不可欠と言えるでしょう。
動物園や水族館を訪れる際には、そこにいる動物たちが、私たち人間の都合だけでなく、その種本来の生き方や、一頭一頭の心身の健康にも配慮されながら、地球の未来に貢献する大切な役割を担っているという視点を持っていただければ幸いです。