アニマルウェルフェア入門

アニマルウェルフェアを高めるエンリッチメントの役割【動物園・水族館】

Tags: アニマルウェルフェア, エンリッチメント, 動物園, 水族館, 動物福祉

はじめに

アニマルウェルフェア(動物福祉)は、動物たちが心身ともに健康で、その動物本来の行動を発現できる状態を指す考え方です。特に動物園や水族館では、飼育下にある動物たちのウェルフェアをいかに向上させるかが重要な課題となっています。その実践において中心的な役割を果たすのが、「エンリッチメント」という取り組みです。

この寄稿では、エンリッチメントがアニマルウェルフェアとどのように関わっているのか、その基本的な概念から、動物園・水族館での具体的な実践例、そしてその役割について、初心者の方にも分かりやすく解説します。

エンリッチメントとは

エンリッチメント(Environmental Enrichment)とは、飼育環境に様々な刺激や変化を与えることで、動物の心身の健康を維持・向上させ、その動物本来の行動を引き出すための工夫全般を指します。単に快適な環境を提供するだけでなく、動物が自ら考え、探索し、行動を選択できる機会を増やすことを目指します。

これは、アニマルウェルフェアの概念、特に「五つの自由」(飢えと渇きからの自由、不快からの自由、苦痛・傷害・病気からの自由、正常な行動を発現する自由、恐怖や苦悩からの自由)のうち、「正常な行動を発現する自由」を満たすために不可欠な取り組みと言えます。飼育下の環境は野生とは異なるため、意識的に野生に近い行動や多様な経験ができるような環境を創出する必要があるのです。

動物園・水族館におけるエンリッチメントの種類

エンリッチメントには様々な方法があり、対象となる動物の種類や特性、飼育環境に応じて多岐にわたる工夫が凝らされています。主な種類をいくつかご紹介します。

環境エンリッチメント

最も基本的なエンリッチメントであり、動物が暮らす空間そのものを工夫します。木、岩、滝、プール、土、砂、植栽などを配置し、立体的な構造を取り入れたり、隠れたり休んだりできる場所を作ったりすることで、多様な行動を引き出します。例えば、サル山の立体的な構造や、ライオンの展示場に設置された高い足場などは、動物が探索行動や休息場所の選択ができるようにするための環境エンリッチメントの一例です。水族館では、水槽内に岩や海藻、砂地など様々な景観を作り出し、魚が隠れたり、泳ぎ回ったり、底を探索したりできるようにします。

給餌エンリッチメント

餌の与え方を工夫することで、動物が餌を探したり、獲得したりする際の行動を促します。単に決まった場所に置くのではなく、隠したり、吊るしたり、時間をずらしたり、パズルフィーダーなどの特殊な給餌器を使用したりします。これは、野生での採食行動(狩り、採集など)を再現する効果があります。例えば、肉食動物に肉を高い場所に吊るしてジャンプさせたり、霊長類に細かく切った果物を展示場に隠して探索させたりします。水族館でも、餌を一度に与えず、時間をかけて分散させたり、特定の場所に隠したりする工夫が見られます。

感覚エンリッチメント

視覚、聴覚、嗅覚、触覚などの感覚に刺激を与えます。新しいにおいをつけたり、音を聞かせたり、鏡を置いたりすることで、動物の Curiosity(好奇心)を刺激します。例えば、ネコ科動物の展示場に香辛料やハーブのにおいをつけたり、鳥類に様々な音を聞かせたりすることがあります。

認知エンリッチメント

動物の認知能力や問題解決能力を刺激する取り組みです。特定の装置を操作すると餌が出てくるパズルフィーダーや、トレーニングを通じて動物が特定の課題をクリアすることで報酬を得るような学習機会を提供します。これは、動物が脳を使い、工夫することを促します。

社会的エンリッチメント

同種や他種の動物との適切な交流機会を提供することで、社会性や複雑な行動を引き出します。群れで生活する動物にとって、適切な個体数の群れで飼育することは非常に重要です。また、安全が確保された上で、他の動物の匂いや姿を見せることも刺激となります。ただし、動物同士の相性や安全性の確保には十分な配慮が必要です。

エンリッチメントの実践における課題と工夫

エンリッチメントの実践は容易ではありません。動物種によって必要なエンリッチメントは異なり、同じ動物種でも個体によって反応は様々です。効果的なエンリッチメントを提供するためには、動物の行動や状態を注意深く観察し、その効果を評価・改善していくプロセスが不可欠です。

また、エンリッチメントの実施には、コスト(資材費、人件費)や、飼育環境の物理的な制約、安全性確保のための設計など、様々な課題が伴います。飼育担当者には、動物の生態に関する深い知識と、創造性、そして継続的な努力が求められます。近年では、IoT技術を活用して動物の行動データを収集し、エンリッチメントの効果を客観的に評価する試みなども行われています。

エンリッチメントの役割と今後の展望

エンリッチメントは、動物園・水族館におけるアニマルウェルフェア向上のための基盤となる取り組みです。動物の心身の健康維持だけでなく、観 visitor に対して動物の多様な行動や本来の生態を示す教育的な側面も持ち合わせています。動物がいきいきと行動する姿は、人々の動物や自然に対する理解と共感を深めることにも繋がります。

今後も、動物科学や行動学の知見に基づいたより科学的なアプローチや、新たな技術を活用したエンリッチメントの開発が進むことが期待されます。また、動物園・水族館の連携を強化し、成功事例や知見を共有していくことも重要です。

まとめ

エンリッチメントは、動物園・水族館において飼育動物のアニマルウェルフェアを向上させるための不可欠な取り組みです。様々な種類があり、動物の本来の行動や心身の健康を促進する役割を担っています。実践には課題もありますが、動物の丁寧な観察と科学的なアプローチを通じて、より効果的なエンリッチメントが追求されています。

動物園や水族館を訪れる際には、展示されている動物たちがどのような環境で、どのように過ごしているか、そしてどのようなエンリッチメントが施されているかに注目してみると、アニマルウェルフェアへの理解がさらに深まることでしょう。