アニマルウェルフェア入門

動物園・水族館の施設設計:アニマルウェルフェアを実現する環境づくり

Tags: アニマルウェルフェア, 動物園, 水族館, 施設設計, 飼育環境, エンリッチメント

アニマルウェルフェアとは、動物が心身ともに健康で、その動物らしく生きられる状態を目指す考え方です。近年、動物園や水族館においても、動物の福祉に対する社会的な関心の高まりとともに、アニマルウェルフェアへの配慮がより一層重視されるようになっています。

このアニマルウェルフェアを語る上で、飼育施設の設計は非常に重要な要素の一つとなります。動物たちが日々を過ごす「場」そのものが、彼らのウェルフェアに直接的に影響を与えるからです。本記事では、動物園・水族館における施設設計がアニマルウェルフェアとどのように関連しているのか、具体的な設計要素や課題について解説します。

飼育施設設計とアニマルウェルフェアの基本原則

アニマルウェルフェアの基本的な考え方として、「五つの自由(Five Freedoms)」やそれを発展させた「五つの領域(Five Domains Model)」といった枠組みがあります。これらの枠組みにおいて、動物が過ごす環境は中心的な要素として位置づけられています。

例えば、「五つの自由」では、「飢えと渇きからの自由」「不快からの自由」といった項目があり、これらは適切な給餌・給水設備や、快適な温度・湿度、清潔な環境といった施設面での配慮なしには達成できません。また、「通常の行動様式を発現する自由」は、動物本来の行動を引き出すための十分な空間や多様な環境要素が施設内に整備されているかどうかにかかっています。

「五つの領域」では、「環境」「栄養」「健康」「行動」といった物理的・機能的な側面に加え、それらが生み出す精神的な状態である「精神状態」も評価対象となります。施設の設計は、「環境」「栄養」「健康」「行動」の各領域に直接的に影響し、結果として動物の「精神状態」にも大きく関わるため、アニマルウェルフェアを実現するための基盤となるのです。

アニマルウェルフェアに配慮した施設設計の具体的な要素

動物園や水族館における施設設計では、対象となる動物種の生態や行動特性を深く理解し、彼らが本来持っている能力を発揮でき、安心して休息できる環境を提供することが目指されます。具体的な設計要素としては、以下のような点が挙げられます。

1. 空間の広さと構造

動物が活動し、社会的な関係を築き、あるいは単独で休息するために必要な広さを確保することは基本です。さらに、空間を平面的な広さだけでなく、立体的に活用できる構造(例:木登りできる樹木や人工構造物、飛び込みや潜水ができる水深の確保など)にすることも重要です。動物が環境を多様に利用できることで、探索行動や運動能力の発揮を促し、単調さを軽減します。また、必要に応じて他の個体から隠れたり、逆に周囲を見渡したりできるような構造(隠れ場所、見晴らしの良い場所)も設けることが、動物の精神的な安定に繋がります。

2. 環境要素の質

床材、壁材、植栽、岩などの自然に近い素材を取り入れることで、動物にとって物理的に快適であると同時に、視覚的、嗅覚的、触覚的な刺激を提供できます。特に、地面を掘る動物には適切な深さの土壌、岩場を好む動物には登攀可能な構造物、水辺に暮らす動物には多様な深さや流れのある水域など、その動物の本来の生息環境を模倣する要素を取り入れることが理想です。

3. 生理的・物理的環境調節

温度、湿度、換気、照明、水質といった物理的な環境要素を、動物種ごとに最適な状態に保つことが不可欠です。特に、熱帯や寒帯など特定の環境に適応した動物に対しては、空調や冷暖房、加湿・除湿設備、濾過装置などが重要な役割を果たします。照明に関しても、自然光に近いスペクトルを持つ照明を使用したり、日照時間に合わせて調整したりすることで、動物の概日リズムや健康状態に良い影響を与えます。

4. 給餌・給水設備の工夫

単に餌や水を提供するだけでなく、給餌・給水の方法や設備を工夫することで、動物の採食行動を豊かにすることができます。例えば、特定の場所に隠して探索させたり、時間をずらして複数箇所に設置したりすることで、野生下での採餌活動に近い行動を引き出すことができます。また、清潔で常に新鮮な水を提供できる設備の設置も重要です。

5. 来園者からの視線対策

動物にとって、常に多くの人間に見られている状態はストレスとなり得ます。ガラスや柵越しに動物が来園者の視線を避けられるエリアを設けたり、展示面に一方的な視線が可能となるような工夫(マジックミラーや植栽の配置など)を施したりすることも、動物のプライバシーを確保し、安心して過ごせる環境を作る上で有効です。

施設設計における課題と工夫

アニマルウェルフェアに配慮した施設設計は理想的ですが、現実には様々な課題が存在します。

これらの課題に対し、動物舎の設計段階で獣医師や動物行動学の専門家が参加し、動物のニーズを詳細に反映させたり、モジュール式の構造を採用して将来的な改修を容易にしたり、最新の技術(水質浄化システム、環境モニタリングシステムなど)を導入したりといった工夫が行われています。

まとめ

動物園・水族館における飼育施設の設計は、単に動物を収容する場所を作るだけでなく、アニマルウェルフェアを実現するための根幹をなす要素です。動物の生態や行動特性を深く理解し、彼らが本来の能力を発揮でき、心身ともに健康に過ごせるような空間、環境要素、設備を整えることが求められます。

もちろん、施設設計だけでアニマルウェルフェアの全てが満たされるわけではありません。適切な栄養管理、獣医療、エンリッチメントの提供、そして専門的な知識を持つ飼育員のケアなど、様々な要素が組み合わさることで、真に動物のウェルフェアは向上します。しかし、快適で安心できる「場」がなければ、他のどんな取り組みもその効果を十分に発揮することは難しいでしょう。

今後も、新しい知識や技術を取り入れながら、動物にとってより良い飼育環境を目指した施設設計が進められていくことが期待されます。