動物園・水族館のアニマルウェルフェア:動物の食生活と給餌の工夫
アニマルウェルフェアは、動物の「心と体の健康」「自然な行動の発現」「外部からのストレスからの解放」などを総合的に考慮し、彼らの生活の質(Quality of Life)を高めようとする考え方です。動物園や水族館においても、展示動物のウェルフェア向上は重要な課題の一つとなっています。
アニマルウェルフェアを考える上で、動物の「食」は非常に基本的ながら、その健康や行動、ひいては精神的な状態にまで大きな影響を与える要素です。単に飢えを満たすだけでなく、どのような餌を、どれだけ、どのように与えるかが、動物のウェルフェアを大きく左右します。
この記事では、動物園・水族館におけるアニマルウェルフェアの観点から、動物の栄養と給餌に焦点を当て、その重要性や具体的な取り組みについて解説します。
アニマルウェルフェアにおける栄養の重要性
動物が健康的に生きるためには、適切な栄養を摂取することが不可欠です。アニマルウェルフェアの五つの自由の一つに「飢えや渇きからの自由(Freedom from hunger and thirst)」がありますが、これは単に餌と水を与えるというだけでなく、質的にも十分な栄養を含む餌を適切な量だけ与えることを意味します。
動物園・水族館で飼育される動物たちは、それぞれが野生で培ってきた独自の食性を持っています。草食動物、肉食動物、雑食動物、魚食動物など、その種類によって消化器官の構造や必要な栄養素の種類、量が異なります。野生では多様な食物から必要な栄養を摂取していますが、飼育下では限られた種類の飼料や餌を与えることが一般的です。
そのため、動物園・水族館の専門家は、それぞれの動物種について、野生での食性、年齢、性別、健康状態、活動量などを考慮した上で、最適な栄養バランスを持つ餌の組み合わせ(給餌プログラム)を慎重に設計しています。これには、必要なタンパク質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルなどが過不足なく供給されるように、科学的な知見に基づいた飼料学や栄養学の知識が活用されます。
栄養不足や過剰は、動物の健康に様々な問題を引き起こします。例えば、栄養失調による病気への抵抗力の低下、肥満による関節疾患や心臓病のリスク増加、特定の栄養素の欠乏による骨や神経の障害などです。適切な栄養管理は、これらの健康リスクを減らし、動物が長く健康に生きるための基盤となります。
アニマルウェルフェアを高める給餌の工夫(給餌エンリッチメント)
餌の「与え方」も、アニマルウェルフェアにおいて非常に重要な要素です。野生動物は、餌を探したり捕まえたりするために多くの時間とエネルギーを使います。この「採食行動」は、彼らの生活において最も基本的で重要な行動の一つであり、自然な行動要求を満たす上で不可欠です。
しかし、飼育下では、餌が決められた時間に決められた場所に置かれるだけという状況になりがちです。これにより、動物は採食に時間をかける必要がなくなり、採食以外の時間を持て余したり、自然な採食行動が抑制されたりする可能性があります。これはストレスの原因となったり、退屈から異常行動(常同行動など)を引き起こしたりするリスクを高めます。
そこで、アニマルウェルフェア向上のための具体的な取り組みとして、「給餌エンリッチメント」が行われています。エンリッチメントとは、動物の福祉を向上させるために、彼らの物理的環境や社会環境、あるいは活動内容を豊かにする工夫全般を指しますが、給餌エンリッチメントは特に採食行動に焦点を当てたものです。
給餌エンリッチメントの例としては、以下のような工夫があります。
- 分散給餌: 餌を広いエリアに撒いたり、複数箇所に隠したりすることで、動物が餌を探す行動を促します。
- 時間分散給餌: 一度に大量に与えるのではなく、時間を空けて複数回に分けて給餌することで、採食に費やす時間を増やします。
- パズルフィーダー: 餌を取り出すために特定の操作が必要な容器や装置を使用することで、動物の認知的な挑戦や操作行動を促します。
- 吊り下げ給餌: 餌を高い場所に吊るすことで、動物が立ち上がったり、木に登ったりするなど、普段あまり行わない姿勢や動きを引き出します。
- 氷やゼリーに閉じ込める: 暑い時期に氷やゼリーに餌を閉じ込めて与えることで、涼を得ると同時に、長時間かけて餌にたどり着く楽しみを提供します。
これらの工夫は、動物が本来持っている採食に関する能力や本能的な行動を引き出し、採食行動にかける時間とエネルギーを増やすことで、心身の活性化を図り、退屈やストレスを軽減する効果が期待できます。飼育している動物の種類や個体の特性に合わせて、様々な給餌エンリッチメントが考案され、実践されています。
栄養・給餌における課題と今後の展望
動物園・水族館における栄養と給餌の実践には、いくつかの課題も存在します。
- 専門知識の必要性: 各動物種の詳細な栄養要求に関する知見は、まだ十分でない場合もあります。特に珍しい動物種や、高齢、病気などの特殊な状態にある個体に対して、最適な給餌プログラムを設計するには高度な専門知識が必要です。
- 個体差への対応: 同じ種類の動物でも、個体によって食の好みや必要な栄養量、健康状態は異なります。それぞれの個体の状態を正確に把握し、きめ細かく対応する必要があります。
- コストと労力: 多様な種類の餌を準備し、それぞれの動物に合わせて給餌プログラムを実行し、さらに給餌エンリッチメントを工夫するには、多大なコストとスタッフの労力が必要です。
- 来園者への理解促進: 給餌エンリッチメントで餌がすぐに見えないように隠されていたり、動物が餌を食べるのに時間がかかっていたりすると、来園者が「餌がもらえていないのではないか」「かわいそう」と感じる可能性があります。このような誤解を防ぎ、ウェルフェア向上のための取り組みであることを来園者に理解してもらうための工夫も求められます。
これらの課題に対し、動物園・水族館では、栄養学や動物行動学の研究者との連携、スタッフの継続的な研修、最新の技術(例:動物の体重や活動量をモニタリングする技術)の導入などにより、栄養管理と給餌の方法を常に改善しようと努力しています。
今後も、動物ごとの詳細な栄養要求に関する研究の進展や、給餌方法のさらなる工夫により、動物たちの食生活の質が高められ、彼らのウェルフェアが向上していくことが期待されます。
まとめ
動物園や水族館における動物たちの栄養と給餌は、彼らのアニマルウェルフェアを支える上で非常に重要な柱です。単に生き長らえるための食事ではなく、科学に基づいた適切な栄養管理と、自然な採食行動を促すための給餌エンリッチメントを組み合わせることで、動物たちは心身ともに健康で豊かな生活を送ることができます。
アニマルウェルフェアへの関心が高まる中で、動物園・水族館は、来園者に対してこれらの取り組みを積極的に伝え、動物たちの「食」が単なる餌やりではなく、彼らの幸せに繋がる重要なケアであることを理解してもらうことも大切です。
この記事が、動物園・水族館におけるアニマルウェルフェアの具体的な取り組みの一つとして、動物の栄養と給餌について理解を深める一助となれば幸いです。