動物園・水族館におけるアニマルウェルフェアの評価方法:五つの領域と実践
アニマルウェルフェアは、動物たちが心身ともに健康で快適に過ごせる状態を目指す考え方です。動物園や水族館においても、展示されている動物たちの福祉を向上させることは重要な取り組みの一つとなっています。しかし、「動物の福祉が良い状態である」とは、具体的にどのような状態を指し、それをどのように判断すれば良いのでしょうか。
アニマルウェルフェア評価の重要性
動物園や水族館の役割は、種の保存、教育普及、レクリエーションなど多岐にわたりますが、その根幹には動物の命を預かる責任があります。この責任を果たす上で、アニマルウェルフェアの確保は不可欠です。そして、アニマルウェルフェアが適切に実践されているかを客観的に把握し、改善につなげるためには、「評価」が非常に重要になります。
評価を行うことで、飼育環境が動物にとって適切か、エンリッチメントは効果を発揮しているか、動物が過度なストレスを感じていないかなどを確認することができます。評価結果に基づいて飼育方法や環境を改善していくプロセスは、アニマルウェルフェアを持続的に向上させるために欠かせないサイクルと言えるでしょう。
アニマルウェルフェア評価の基盤:五つの領域モデル
アニマルウェルフェアを評価する上で、現在広く受け入れられている考え方の一つに「五つの領域(Five Domains)」モデルがあります。これは、従来の「五つの自由(Five Freedoms)」モデル(飢えや渇きからの自由、不快からの自由、苦痛・傷害・病気からの自由、正常な行動をとる自由、恐怖や苦悩からの自由)をさらに発展させたもので、動物の「ネガティブな状態からの解放」だけでなく、「ポジティブな経験の促進」にも焦点を当てています。
五つの領域は以下の要素から構成されます。
- 栄養(Nutrition Domain): 適切で十分な量と質の食事、水分が得られているか。
- 環境(Environment Domain): 快適な温度、空間、床材、隠れ場所などが提供されているか。
- 健康(Health Domain): 病気や怪我、機能障害がないか。予防措置や適切な治療が行われているか。
- 行動(Behaviour Domain): 自然な行動、探求行動、社会行動などが表現できる機会があるか。望ましくない行動(常同行動など)が見られないか。
- 精神状態(Mental State Domain): 痛み、恐怖、フラストレーションなどのネガティブな感情が少なく、満足、快適さ、喜び、興味などのポジティブな感情を経験できているか。
五つの領域モデルでは、最初の四つの領域(栄養、環境、健康、行動)の状態を評価することで、最終的に動物の精神状態を推測し、全体的なウェルフェアを評価するという考え方をとります。つまり、単に病気がないか、食べられているかだけでなく、動物が「どのような気持ちでいるか」まで想像力を働かせることが求められます。
動物園・水族館における具体的な評価方法
動物園や水族館では、様々な方法を組み合わせてアニマルウェルフェアの評価を行っています。主な方法をいくつかご紹介します。
1. 行動観察
動物の行動は、その動物が置かれている状況や精神状態を反映する重要な指標です。 * 正常行動の確認: 種本来の採食行動、休息パターン、運動、社会行動(群れ内の相互作用)、探索行動などが観察されているか。 * 異常行動・常同行動の有無: 同じ場所を行ったり来たりする(往復運動)、頭を振り続ける、過度なグルーミングなどの常同行動は、ストレスや不適切な環境を示唆する可能性があります。 * エンリッチメントの利用: 提供されたエンリッチメント(例:採食エンリッチメント、遊具)を積極的に利用しているか。 * 来園者への反応: 過度に怯える、隠れる、あるいは攻撃的になるなど、来園者の存在が動物に与える影響を観察します。
行動観察は、エソロジー(動物行動学)の専門知識を持つスタッフによって、定期的かつ体系的に実施されることが重要です。ビデオ録画なども活用されます。
2. 生理学的指標
動物の体内の変化を測定することで、ストレスレベルや健康状態を客観的に評価します。 * ホルモン測定: 糞や尿、血液、毛などからコルチゾールなどのストレスホルモンを測定します。ただし、サンプリング方法や測定タイミングによって結果が変動するため、解釈には注意が必要です。 * 体重・体格: 定期的な体重測定や体格チェックは、栄養状態や健康状態の基本的な指標となります。 * 健康診断: 獣医師による定期的な健康診断、血液検査、糞便検査などにより、病気の有無や体の状態を確認します。 * 繁殖状況: 健康状態や環境が良好であることの一つの指標として、繁殖の成功例も挙げられます。
3. 環境評価
動物が生活する物理的な環境そのものを評価します。 * 空間の広さ・複雑さ: 動物種にとって十分な広さや高さがあるか、隠れ場所、休息場所、活動場所などが適切に配置されているか。 * 環境要素: 温度、湿度、明るさ、騒音レベルが適切か。水質(水族館の場合)が適切に維持されているか。 * エンリッチメントの設置状況: 行動エンリッチメント、環境エンリッチメント、給餌エンリッチメント、感覚エンリッチメントなどが計画的に提供されているか。
環境評価は、動物の専門家だけでなく、設計者やエンジニアとの連携も必要になる場合があります。
4. 記録とデータ分析
これらの評価で得られた情報は、日々の飼育記録、獣医記録、行動観察記録として蓄積されます。これらのデータを分析することで、個体ごとの健康状態や行動の変化、特定の環境要因と行動の関連性などを把握し、改善策の効果を検証することができます。
評価における課題
アニマルウェルフェアの評価は、常に容易なわけではありません。いくつかの課題が存在します。
- 評価基準の標準化: 動物種によって適切な環境や行動は大きく異なります。また、同じ種でも個体差があります。普遍的な評価基準を設けることは難しく、それぞれの状況に応じた評価が必要です。
- 精神状態の評価: 動物の「気持ち」を直接知ることはできません。行動や生理的な指標から推測するしかなく、その解釈には専門的な知識と経験、そして限界が伴います。
- データの収集と分析: 膨大なデータを継続的に収集・記録し、適切に分析するには、人材と時間、コストが必要です。
- 展示とのバランス: 来園者に見せるという施設の機能と、動物のプライバシーや休息場所の確保といったウェルフェアの要求との間で、バランスをとる必要があります。
- 倫理的な考慮: 生理的指標のためのサンプリングなど、評価手法自体が動物にストレスを与えないよう配慮が求められます。
まとめ
動物園や水族館におけるアニマルウェルフェアの評価は、動物たちのより良い暮らしを実現するために不可欠なプロセスです。五つの領域モデルのような考え方を基盤に、行動観察、生理学的指標、環境評価など、多角的なアプローチを用いて行われます。
評価には課題も伴いますが、これらの取り組みを通じて得られた知見は、飼育環境の改善、エンリッチメントの質の向上、そして動物の健康管理に直接的に活かされます。継続的な評価と改善のサイクルこそが、アニマルウェルフェアの向上につながる重要な鍵となります。
これからも、動物園・水族館が動物福祉における先進的な役割を果たしていくためには、科学的な知見に基づいた評価を推進し、その結果を積極的に活用していくことが期待されます。