動物園・水族館における動物の輸送:アニマルウェルフェアの課題と配慮
動物園や水族館では、繁殖プログラムへの参加、施設の改修に伴う一時移動、傷病野生動物の救護、あるいは老齢動物の終生飼育場所への移動など、様々な理由で動物を輸送することがあります。動物を安全に、そして可能な限りストレスなく移動させることは、アニマルウェルフェアの観点から非常に重要です。
輸送におけるアニマルウェルフェアの重要性
動物の輸送は、普段暮らしている慣れた環境から離れ、見知らぬ場所へ移動するプロセスです。この過程で、動物は様々な物理的、心理的なストレスにさらされる可能性があります。例えば、振動、騒音、温度や湿度の変化、閉じ込められた空間、見慣れない人や環境への遭遇などが挙げられます。
アニマルウェルフェアの基本的な考え方の一つに「五つの自由」またはより包括的な「五つの領域」モデルがあります。輸送を考える際には、これらの要素がどのように影響を受けるかを理解することが重要です。
- 飢えと渇きからの自由: 輸送中の適切な給餌・給水計画
- 不快からの自由: 適切な温度・湿度管理、清潔で快適な輸送容器
- 苦痛、傷害、病気からの自由: 適切な健康管理、安全な輸送容器、輸送中の監視
- 正常な行動を発現する自由: 輸送容器のサイズ、環境への慣らし
- 恐れや苦悩からの自由: 静かで安全な輸送環境、ストレスを軽減する工夫
これらの自由(あるいは領域)を確保するためには、輸送のあらゆる段階で細やかな配慮が求められます。
輸送に伴う具体的な課題
動物の輸送には、以下のような具体的な課題が伴います。
- 物理的ストレス: 輸送車両や飛行機の振動、騒音、急な加速・減速、長時間同じ姿勢を強いられることによる身体への負担、外部の気温や湿度変化への対応など。
- 心理的ストレス: 見慣れない匂いや音、閉じ込められた空間、周囲の人間の存在、他の動物との分離や逆に未知の動物との接近などからくる不安や恐怖。
- 健康リスク: 輸送中の怪我(輸送容器内での衝突や転倒)、免疫力の低下による病気の発症、脱水、摂食不良、消化器系の問題など。
- 特定の動物種における課題: 輸送に極めて弱い動物種、大きな動物(ゾウなど)、特殊な環境が必要な動物(水生生物、寒冷地動物など)の輸送は特に高度な専門知識と設備が必要です。
これらの課題を最小限に抑えることが、輸送におけるアニマルウェルフェアの目標となります。
アニマルウェルフェアに配慮した輸送の実際
アニマルウェルフェアに配慮した動物輸送は、単に動物を目的地に運ぶこと以上の意味を持ちます。これは、事前の周到な計画、輸送中の綿密な管理、そして輸送後の適切なケアという、複数の段階からなるプロセスです。
1. 事前の準備
輸送が決定したら、まず詳細な計画が立てられます。
- 動物の健康状態評価: 輸送に耐えうる健康状態であるかを獣医師が確認します。必要に応じて健康診断や予防接種を行います。
- 輸送容器の選定と慣らし: 輸送する動物種、大きさ、性質、輸送方法(陸送、空輸など)に適した輸送容器を選びます。容器は安全で、通気性が良く、動物が中で方向転換できる適切なサイズであることが望ましいです。多くの施設では、輸送の数週間から数ヶ月前から、動物に輸送容器を展示場や寝室に置き、中で餌を食べさせたり休息させたりして慣らす(エンリッチメントの一環として)トレーニングを行います。これにより、輸送容器に対する恐怖心を和らげます。
- 給餌・給水計画: 輸送時間や動物種に応じて、輸送中の給餌・給水が必要か、どのように行うかを計画します。
- 輸送ルートと方法の選定: 可能な限り動物への負担が少ないルートと方法を選びます。振動や騒音の少ない時間帯や経路を選定したり、長距離の場合は中継地点での休息を計画したりします。
2. 輸送中の管理
輸送が始まってからも、動物の状態を注意深く観察し、適切な管理を行います。
- 環境管理: 輸送車両内の温度、湿度、換気を適切に保ちます。特に夏期や冬期の輸送では温度管理が重要です。
- 状態の観察: 動物の行動や生理的状態を定期的に観察し、ストレスや体調の変化の兆候がないか確認します。必要に応じて、輸送担当者や獣医師が同行します。
- 緊急時対応: 予期せぬ事態(輸送車両の故障、動物の急変など)に備え、緊急連絡先や対応計画を準備しておきます。
3. 輸送後のケア
目的地に到着した後も、動物のケアは続きます。
- 検疫: 多くの場合、新しい環境に持ち込まれた動物は、一定期間、他の動物から隔離された施設で過ごします。これを検疫と呼び、輸送による疲労からの回復、新しい環境への順応、そして持ち込みによる病原体の拡散を防ぐ目的があります。
- 健康状態のモニタリング: 到着後も継続的に動物の健康状態や行動を観察し、必要に応じて獣医療を提供します。
- 新しい環境への順応: 動物が新しい寝室や展示場に慣れるよう、段階的に環境に触れさせたり、隠れ家や採食のためのエンリッチメントを用意したりします。
輸送ガイドラインと基準
動物の輸送に関するアニマルウェルフェア基準は、国内外の様々な機関によって定められています。例えば、世界動物園水族館協会(WAZA)は、その倫理規定やガイドラインの中で、動物の輸送におけるアニマルウェルフェアへの配慮を求めています。国内の動物園水族館協会(JAZA)なども、会員園館に対して適切な動物管理に関する基準を示しています。これらの基準は、輸送方法、輸送容器の仕様、動物の状態管理などについて具体的な推奨事項を含んでおり、動物園・水族館はこれらのガイドラインに沿って輸送計画を立て、実行することが推奨されています。
課題と今後の展望
動物輸送におけるアニマルウェルフェアの向上には、まだ課題も存在します。特に、長距離の国際輸送や、大型動物、デリケートな水生生物などの輸送は依然として高度な専門知識と技術、そして大きなコストを伴います。また、予期せぬ遅延やトラブルは動物に大きなストレスを与える可能性があります。
今後は、より動物に負担をかけない輸送技術の開発、輸送中の生体情報(心拍、体温など)を遠隔でモニタリングする技術の活用、輸送担当者の専門知識やスキルの向上などが期待されます。また、野生動物の密輸防止といった文脈でも、アニマルウェルフェアに配慮した安全な保護動物の輸送は重要な課題です。
まとめ
動物園や水族館における動物の輸送は、繁殖計画や種の保存、あるいは動物のより良い環境への移動など、重要な目的のために行われます。しかし、その過程で動物が大きなストレスにさらされるリスクがあるため、アニマルウェルフェアへの最大限の配慮が不可欠です。
事前の計画、輸送中の注意深い管理、輸送後の適切なケアといった各段階での専門的な対応が、動物の安全と福祉を守る鍵となります。動物園・水族館のスタッフは、常に最新の知見に基づき、それぞれの動物の状況に合わせて最善の輸送方法を選択し、実行することが求められます。
来園者の皆様が、動物園・水族館の動物たちが時として他の施設へ移動することがある、そしてその移動の裏には動物たちの福祉を守るための様々な努力と配慮があるということを理解することは、アニマルウェルフェアへの関心を深める一歩となるでしょう。